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戦後のプロ野球界にスピード感あふれる野球の面白さをもちこんだ日系アメリカ人野球選手。
本名ウォーリー・カナメ・ヨナミネ。沖縄からの移民の子供としてハワイのオアフ島に生まれる。高校時代からアメリカン・フットボールの選手として活躍し、兵役をへて、1947年(昭和22)にサンフランシスコ・フォーティナイナーズに入団。しかし、手首を骨折したり、肩を脱臼(だっきゅう)するなどして50年に野球に転向し、マイナーリーグのSF・シールズに入団した。
1951年6月に来日して、巨人に入団する。戦後の日系人選手第1号で、広田順、エンディ宮本(いずれも巨人)、与儀真助(阪神)など、その後の日系人選手ブームの先駆けとなった。同年は規定打席不足ではあったが、3割5分4厘の高打率をマーク。54年、56年、57年の3回、首位打者のタイトルを獲得した。とくに57年には最優秀選手にえらばれている。61年に中日ドラゴンズに移籍し、62年に引退した。通算成績は打率3割1分1厘、82本塁打、482打点。
正確なミートバッティングと俊足で、高い打率をのこした。また、戦後の日本プロ野球界に本場アメリカ仕込みのはげしいスライディングをもちこみ、日本の野球をかえた男といわれる。引退後は1972年から77年まで中日の監督をつとめ、74年にはリーグ優勝して巨人の10連覇を阻止した。
巨人を自由契約になって中日ドラゴンズに入団。巨人時代は首位打者3回、MVP1回、 ベストナイン7回に輝くも、中日では結果を残せなかった。愛称はウォーリー。後のドラゴンズ監督 として20年ぶり2回目の優勝をした。 |