ドラゴンズHISTORY

創立/1936年1月15日
球団事務所/名古屋市中区栄4−1−1 中日ビル6階 052−261−8811
合宿所/中日ドラゴンズ昇龍館 名古屋市中川区露橋2−12−69
本拠地/ナゴヤドーム 名古屋市東区大幸南1−1ー1
練習場/中日屋内練習場 名古屋市中川区露橋2−12−69

名古屋市を本拠地にして、通算6回のリーグ優勝をはたしている。


「名古屋軍」として誕生


1936年(昭和11)、大日本野球連盟名古屋協会として日本職業野球連盟に加盟。チーム名は名古屋軍とした。しかし、翌37年にイーグルスが誕生すると、名古屋軍からは総監督をはじめ主力選手がごっそりひきぬかれて、大幅に戦力ダウンした。このこともあって戦前、戦後の1リーグ時代はあまりふるわなかった。なお、当時、名古屋には名古屋金鯱(きんこ)というもうひとつのチームがあったが、44年に消滅。以来、名古屋軍が唯一のプロ球団になった。
1947年、球団名を中日ドラゴンズに改称。主力スポンサーだった中部日本新聞の当時の社長の杉山虎之助が辰年だったことに由来する。50年の2リーグ分裂では、セ・リーグに加盟した。ほかの既存球団は新しく結成されたチームによる引き抜きで大きな打撃をうけたが、中日は天地俊一監督を中心にして団結。退団者をださずに戦力を確保した。その結果、成績も安定し、優勝争いにくわわるようになった。


杉下の活躍で日本一に


1951年から2年間、名古屋ドラゴンズと名のったが、54年からは中部日本新聞社(現、中日新聞社)1社の経営となり、ふたたび現在の中日ドラゴンズにもどった。この年、監督に復帰した天地が投手ローテーションを確立、巨人をやぶってリーグ初優勝をはたした。この時のエースは杉下茂。フォークボールを駆使して、32勝の驚異的な勝利数をあげ、最優秀選手にえらばれている。さらに日本シリーズでは西鉄ライオンズ(現、西武)を4勝3敗でやぶり、日本一になった。

巨人のV10を阻止


その後はAクラスを確保するものの、しばらく優勝できなかった。西沢道夫が監督をつとめた1965年から67年までは3年連続して2位。とくに66年は76勝をあげながら、対巨人戦6勝20敗と大きく負けこし、巨人に優勝をさらわれた。69年には水原茂を監督にまねいたが、優勝までにはいたらなかった。しかし、このころに若手選手が台頭してチーム力が向上し、74年には、3年目の与那嶺要監督によって、20年ぶりのリーグ優勝をはたした。巨人のV10を阻止する快挙だった。
1982年には、近藤貞雄監督が絶妙な継投策と、投の都裕次郎、郭源治、打の谷沢健一、田尾安志などの活躍で3度目のリーグ優勝をはたし、88年には星野仙一監督が、西武ライオンズから移籍した小野和幸、ロッテオリオンズ(現、千葉ロッテ)から移籍した落合博満らの活躍で優勝したが、いずれも日本シリーズではやぶれている。97年には、名古屋ドームが完成したが、最下位におわった。

11年ぶり5回目のV


そして1999年開幕11連勝というプロ野球記録を作った中日ドラゴンズは投手では新加入の武田、岩瀬をはじめ、野口、山本昌、川上、落合、宣、サムソン、打では新人の福留や、関川、ゴメス、山崎らの活躍で開幕から首位を維持し念願のセ・リーグ制覇をした。
この年の日本シリーズでは中日有利の下馬評であったが、福岡ダイエーホークスに優勝をさらわれた。

オレ流監督、1年目での優勝

落合監督は就任会見で「こういう野球、こういう練習をやったことないんじゃないのっていうような野球を目指す」と言って、1年目の日本一を宣言した。
春季キャンプでは1、2軍を撤廃し、初日からいきなり紅白戦実施。シーズンでも右投手に対して左打者へ、あえて右の代打を送るなど“球界の常識”を覆した。
「いきなり日本一なんて、何を言ってるんだろうと思った」と井端は振り返ったが、その違和感は厚い信頼から確信に変わり、リーグ優勝。結果を残すことで周囲の雑音を封じたのは現役時代と変わらぬ“オレ流”そのものだった。
さてシーズンを振り返るとこの1年、文字通り守り勝つ野球でつかんだ優勝だった。打者がつないでとった1点を、豊富な中継ぎ・リリーフ陣が守り、勝利をつかむという勝利の方程式が存在した。
圧巻は川上・荒木・井端・渡辺・アレックス・英智の6人がゴールデングラブ賞を獲得する快挙を成し遂げ、この年のチーム失策数45はセリーグ最小記録を樹立した。
打者の方では荒木・井端の1・2番コンビが成長著しく、どちらかが塁に出て3番の立浪が8月まで脅威の得点圏打率4割という勝負強いバッティングで得点するパターンが目立った。またこの年アテネオリンピックで福留・岩瀬が抜けるも、代わりの英智・平井がその穴を十分に埋める活躍を見せた。
50年ぶりの日本一をかけた日本シリーズでは残念ながら西武に競り負けるも、「悔しい?勝負事に負けて悔しくない人間はいないだろ。勝負どころを7試合通して見誤った。選手は約束を果たしてくれたのに、一番最後の約束を果たせなかったのはこちらの責任」と落合監督は終始選手を責めず、日本シリーズを含めた今季の145試合を静かに振り返った。

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